旅行の写真やスケッチを掲載します。
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春雨にけむる 東大寺 中学校時代 京都・奈良の修学旅行以来 何十年たったことでしょう。 テレビの映像では何度もみてはいるのですが、この目で何十年ぶりで大仏様を拝みました。 中学生の頃の記憶はすっかり薄れていましたので、初めてのように新鮮な気持ちでした。 最初の日はあいにくの雨で傘を差しながらでしたが春日大社から東大寺まで歩きました。 翌日は奈良駅から法隆寺駅まで行き 法隆寺をゆっくりみてまた奈良駅に戻り 興福寺へゆきました。人馴れした鹿があちこちにいたりしました。 万葉が薫る平安の古都は今を生きる私たちにも色濃くいにしえを語りかけてきます。 京都に移動し やはり代表的な八坂神社、清水寺、銀閣寺、金閣寺をバスや歩きでまわりました。 サンフランシスコに住む知人が来日していて京都で合流するというプランでの旅でした。 日頃 万葉集の美しい世界にあこがれを感じておりましたが、古典をもっと勉強してから いつの日にか ゆっくりと大和路をあるいてみたいです。 法隆寺 #
by michikobaya
| 2011-05-20 18:03
| 旅
相馬市の海岸で 彼女が拾った貝殻 3:11の大震災で津浪に巻き込まれ 絵の友人が一人亡くなりました。 相馬市から列車で絵の教室に通ってきていてよく ロビーで一緒に昼食をしながら話ました。 海岸近くに住む彼女は嵐があった翌日の浜辺にはインテリアや華道に使うと素敵な流木が 海岸に流れてきたりするので きれいな貝殻を拾いにゆくの・・・・と話していました。 貝殻は絵のデッサンに使うので 拾ったのを下さったのがコレです。 東京での展覧会にもよく観に行く方でした。 ロートレックの絵を見て来たとき、感想をいきいきと語っていました。 人物画を初めて描く絵のサイズ表なども準備していろいろ教えていただきました。 電気が再開しパソコンが使えるようになってから 相馬市の行方不明者欄に彼女の名前を発見し、その後福島県警察の 身元判明死亡者欄にお名前が出ました。 共通の友人にも連絡しました。 毎日彼女の自宅、携帯にかけ続けていたその人も泣きました。 いつか相馬の海に絵を描きに行こうと約束をしていたのに・・・・・。 日々が流れていたのです。 今年こそ・・・と思っていたのに・・・・・・ 永遠の別れになってしまいました。 ありがとう。 貝は 時報がキンコーンとなるウエストミンスター置時計の傍に飾って置きます。 #
by michikobaya
| 2011-05-02 10:47
| 思い出
今年の パークタウン西端の桜並木 震災から6週間めになりました。 仙台市内の中心部に買い物にいってみました。 あるデパートは地下の食品売り場から4階まで営業していますし、崩れそうな外壁にネットをかぶせながらも内部での営業をしたりしてだいぶ賑わいも戻ってきました。 遅れていた卒業式、入学式などや年度変わりで人、車の往来が多く道路は渋滞しているところもありました。 外観は変化がなくても最上階やホールは天井が落ちたりしていますので 工事には日数がかかりそうです。 3.11当日を何処にいたか?が運命を左右したり、パニックだったことをその時の様子を皆さんと其々に語り合いました。 仙台の代表的な観光地松島は 津波が比較的に穏やかだったらしく、国宝 瑞巌寺は観光が出来るようになり、営業を再開したしたホテルやお店もあります。 松島湾には大小無数の島があり島の存在が津波のエネルギーを和らげて国宝が守られたのかもしれません。 この大災害にも四季の移ろいは確実で巡ってきて、今年もきれいな桜が咲きました。 公園の 真っ赤な「ぼけ」が咲きました。 四季の移ろいは眺める私たちを癒し力を与えてくれます。 自然の力は怖さや優しさを持っています。 #
by michikobaya
| 2011-04-22 10:26
| 日々のこと
大災害から 3週間目 気がつけば 白梅、紅梅が咲く季節になっていたのです。 誰も予想しえなかった大災害から3週間目になりました。 福島原子力発電所の損壊で放射能から逃れる難民は安住の地を求めて 町ぐるみ住民の移動が始り、日本政府のみならず世界中の原子力の頭脳、技術者が 日本に集結し対策に懸命ですが未だに有効な手段がないまま放射能測定値が 発表されています。 この災害は 日本だけのことではなく世界の今後の エネルギー方針をも左右する事態になってきました。 3月31日現在 死者11532人、行方不明者16441人で行方不明者の捜索が 日米合同で空から海から全力で行われています。 津波災害地区は何も復旧していませんし、道路の損壊で未だに支援物資の 届かない所もあります。 仙台市内では(津波被害は全く別で何も手つかず状態)地区によって バラつきはあるものの 電気、水道、通信は回復し現在はガス復旧に 全国からの技術者で急ピッチですすめられています。 営業しているお店は限られてはいるものの、食品購入の長い列はなくなりました。 ただガソリンが長蛇の列でなかなか買うことが出来ず困っています。 再びガスが使えるようになった喜びと東京からの支援で送っていただいたバターで ラム酒に漬けていたクランベリーをのせてスイートポテトまがいの自己流ケーキを 焼きました。 復興に懸命の若い人達のおやつです。 焼きあがった 自己流ポテトケーキ そんな中、今日4月1日は新年度のスタート日でです。 辞令交付を受けた若い方達に希望を託したいです。 頑張れ!! 若者達!! #
by michikobaya
| 2011-04-01 17:52
| 日々のこと
大地震 大災害から1週間目の大雪 何百年、いや1千年に一度かもしれない大地震が起きてから1週間。 現地は真冬並みの寒波になりました。 大揺れと同時に切れた電気、ガス、水道、通信回線。 電池式の小さいラジオからの情報が頼りでした。 電気が切断されているのでテレビは映りません。翌日の河北新報での写真で 被害の大きさを実感しました。 津波による沿岸部の壊滅的な被害状況と避難所への救援物資の運送もままならない 状況が伝わってきました。 日を追うごとに死者、行方不明が判明し数が増えて行きました。 電気が通じてからテレビ映像で被害状況がより鮮明にわかるようになりました。 同時に電話が繋がり安否を問う親戚、故郷の友人達、宮城県内友人の声が聴かれました。 インターネットで、携帯でのメールでの安否確認メールに返事を書いたりに 2~3日はバタバタの毎日でした。 ガソリンスタンドも閉鎖ですから電気がきても灯油の残量を思えば ストーブもめったに焚けません。家の中でもダウンジャケットです。 近くのスーパーを覗いてみたら天井から照明か?空調設備か? ぶら下がって 営業できる状態ではありません。 でも今日は営業するらしく 10時の開店に早朝7時前にはリュックを背負った 方達が並びはじめていました。 ガソリンが買えないのでやたら車は使えません。 私達は科学の発達で日頃は快適便利豊かさを享受していますが、自然の力の前では 本当にもろいものと実感しました。 水道が復旧しない地区から毎日水汲みにきてもらっています。 ガスの復旧はまだ予測すらたっていません。 住む家を失い避難所に生活していらっしゃる方達が大勢いらっしゃいます。 どうか暖かい援助の手がさしのべられることを祈ります。 今朝の日の出に祈りを込めました。 2011年3月18日の 日の出 #
by michikobaya
| 2011-03-18 11:20
| 日々のこと
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